事業資金を用意する場合は銀行などの金融機関から借り入れることが一般的ですが、実績のない状態で貸してくれることは難しいといえます。そのため、国や自治体が事業資金を融資してくれる場合があります。例えば、創業支援制度や、地元に誘致するための融資、商工会議所が貸し付けてくれるなどいろいろな制度があるので活用しましょう。
自分は何をやっているんだろうという気持ちになることがある。何といっても、仕事での自己実現という面では、かなり満足できない。そんな時に、友達と話していると、誰かが、自分でやりたいことをできる会社設立をしたいという話になります。でも、実際には、会社設立なんて、夢の又夢という感じで、そんな勇気はまだ持てません。
【杉浦美香のさくらんぼ白書】
ベトナムで枯れ葉剤の2世被害者で、ドキュメンタリー映画「沈黙の春を生きて」(坂田雅子監督)に出演した米国人女性、ヘザー・バウザーさん(38)がこのほど、来日した。初めての日本で訪問したのは、東日本大震災による福島第1原発の放射能漏れで苦しむ「フクシマ」と「ミヤギ」だった。映画は10月21日まで東京・岩波ホールで公開中だ。山形では、6日から8日間、国際ドキュメンタリー映画祭が開かれる。映画は世界を変えられるか−。
■枯れ葉剤被害者として
「一番心配されているのは何ですか」
「計画的避難区域」の飯立村の住民が避難している仮設住宅の一角で、ヘザーさんと坂田監督は、孫の子守をしている菅野昭三さん(83)に尋ねた。
「心配してもどうにもならないから。年もとっているし。ただ、子どものことは心配だなあ…」
ヘザーさんの父親は、ベトナム戦争の従軍兵士だった。1968〜69年、今も枯れ葉剤(除草剤)のホットスポットが残るビエン・ホア基地に軍務についていた。帰国後に未熟児で生まれたヘザーさんは右足のひざ上からがなく、左足の親指と両手の指も欠損していた。
当時、高濃度のダイオキシンなど有害化学物質を含む枯れ葉剤と障害との因果関係はわかっていなかった。有害物質は父の精神、身体をむしばんだが、当時、帰還兵の健康被害やその子どもたちを支援団体は皆無に近かった。米国政府は今もへザーさんを枯れ葉剤の被害者として認めていない。父の被害が認められたのは父が亡くなってからだった。
今も枯れ葉剤の影響に苦しむベトナム戦争の現状を追いかけている坂田監督はヘザーさんが、一人の「障害者」としてベトナムを訪問するのをドキュメンタリー映画にした。
ヘザーさんの東北訪問の原動力になったのは、ヘザーさんのことをとりあげたNHKの番組「ETV特集」の放送後、枯れ葉剤の被害を訴えるヘザーさんのウエブに、東北からのアクセス数が増えたからだという。もちろん、3・11の前、ヘザーさんは「トーホク」も「フクシマ」も知らなかった。
「本当に偶然ですが、3・11の直前にテレビ放映されたのです。その後で未曾有の震災が起きた。ウエブにアクセスしてくださった方々はどうされているのか、気になって仕方がありませんでした」
■次の世代へ
放射能被害から子どもたちを守るために活動している福島ネットワークが開いた同映画の上映会で、教師や母親が「政府は安全というが、何を信じればよいのか」と問うてきた。
「当時、枯れ葉剤は安全といわれていた。化学者が安心させようとダイオキシンを飲むの映像をみたこともある」とヘザーさん。「誰に責任があるのかをはっきりさせなければならない。自分たちでも調べる。それが大きな力になる」と語る。
タイトルの「沈黙の春を生きて」は、米作家のレイチェル・カーソン氏が、農薬などの化学物質で、生き物がいなくなってしまうという危険性を警告した「沈黙の春」からとっている。
「カーソン氏が枯れ葉剤に言及していた文章は残っていませんが、亡くなる前に心配していたと聞いています。カーソン氏の警告は、福島第1原発事故に通じるものがあります」と坂田監督は語る。
人間の手で作り出した枯れ葉剤、そして放射能。当時、米政府は枯れ葉剤について「人体に影響がなく、土壌も1年で回復」と説明していたが、ベトナム戦争が終了して30年以上が経過してもベトナムでは世代を超え、障害に苦しんでいる人がいる。散布した側の米国でも、ヘザーさんのように後遺症の障害で苦しむ人がいる。
日本の原子力発電行政も似た構図を持っている。「安全」と流布されていた原発は、未曽有の災害で無力さを露呈した。
「健康被害が出ない」とされる放射能の暫定基準にも疑問を持つ住民は少なくない。
「50年、100年後にどういう影響があるのか誰もわからない」と上映会に参加した何人もの市民が訴えていた。
■映画の力
坂田監督がドキュメンタリー映画を作る原動力になったのは、ベトナム戦争の帰還兵であり、フォトジャーナリストの夫を若くして肝臓がんで失ったからだった。
夫のベトナムでの軌跡を追いながら、重い障害を持った子どもたちと、彼らを支える家族の愛などを描いた初のドキュメンタリー映画「花はどこへいった」(2007年)は、毎日ドキュメンタリー賞、パリ国際環境賞など多くの賞を受賞した。
今回の作品はその続編ともいえる。
枯れ葉剤被害者の子どもたちの学費を提供する活動と、ベトナム語を学ぶために同国でしばらく滞在するなかで撮影を撮りためた。そしてヘザーさんとの出会いが、作品誕生の大きなきっかけになった。
レイチェル・カーソン氏の警告は、ベトナム戦争で無視され、そして日本でも生かされなかった。今回の作品で震災が描かれているわけではないが、共通項を見いだすという。
「未来の世代に再び負の遺産を残さないように、わたしたちが何ができるのだろうか…」という問いかけは同じだ。
坂田監督は、震災のドキュメンタリー映画を作るためという明確に撮影しているわけではないが、避難者らの声を拾い続けている。
■映画の力
世界的に知られるドキュメンタリー映画祭がこの6日から8日間の日程で山形市内で開かれる。甚大な被害をもたらした東日本大震災で一時は開催を見合わせることも検討されたが、予定通り行われることになった。
こうした時だからこそ、世界を客観的な視点でとらえて、主観に基づいて発信するドキュメンタリー映画が持つ力強さが、復興の前進につながると判断したからだという。
震災をテーマに集まったのは29作品。森達也氏ら4人のドキュメンタリー作家が震災直後から被災地に入って作った「3・11」など29作品も上映されるという
■未来へ
坂田監督とヘザーさんらは住民の案内で、空家になってしまった飯館村の自宅を案内してもらった。
そこで目にしたのは、避難して誰もいなくなった家の庭で、新たに生まれた小さな子犬だった。
「餌をやりにくると縫いぐるみが飛びだしてきたと思った。よく生まれたと思って:」
その家の主はこういって、母犬に甘える子犬に目を細めた。母犬はラブラドールで体が大きいため、避難先には連れていけないという。
子犬は久しぶりの人に、無邪気にしっぽを振って大喜びだ。ヘザーさんの後もついてまわった。
まだ、名前のない子犬の名前をつけるように頼まれ、ヘザーさんがつけたのは「ホープ(希望)」だ。
初めての日本訪問で、ヘザーさんが残してくれたものは大きい。(山形支局長 杉浦美香)
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